1章ごとに記事化していきます。
ドーモ。皆=サン。たんぶらぁです。
今回はライズオブローニンで
描かれている幕末の歴史に
ついて紹介します。
本作は1つの歴史ゲームとして
見ても素晴らしい大作ですので
是非、本作のようなゲームをきっかけに
日本の歴史について興味を持つ方が
増えたら良いなと思います。
※歴史の評価・解釈部分は
僕個人の考えが含まれます。
幕末期の出来事や人物を
どう評価していくかは
皆さんでも考えてみて下さい。
こんな方におすすめ
- ゲームに関連した日本の文化・伝統・歴史に興味がある方
ライズオブローニンで描かれる時代
本作は
黒船来航(ペリー来航)
↓
江戸城無血開城
までの時代を描いたお話になっています。
そこでゲーム同様に
黒船来航→江戸城無血開城までの
歴史を紹介したいと思います。
1章ごとに記事化していきます。
幕末の歴史(英国公使館焼き討ち~禁門の変)
本作の2章以降では日本側と対峙する
外国勢力がアメリカ→イギリス
へ切り替わります。
まずはこの理由をご紹介します。
ハリスの目論見通りに見事、
日本と通商条約を結んだ
アメリカでしたが対米貿易は
そこまで盛んにはなりませんでした。
理由はアメリカ国内が
内戦に突入した為です。
アメリカは日米修好通商条約を
結んだ後に南北戦争という
大きな内戦の時代に突入します。
この為、アメリカは日本と
関わってる余裕が無くなってしまい
代わりにイギリスが最大の
貿易相手国となりました。
しかしアメリカからイギリスに
切り替わろうが攘夷派から見たら
憎らしい外国勢力である事に
変わりはありません。
1863年に江戸品川御殿山で
建設中のイギリス公使館が
焼き討ちされる事件が起こりました。
この時の英国公使が本作にも登場する
ラザフォード・オールコックです。
そんな有名人じゃないと思うので
まさかちゃんとゲームに
登場するとは思いませんでした。
(笑)
さらに詳しく
本作でも描かれている通り、奇兵隊隊長の高杉晋作が中心となり久坂玄瑞や伊藤博文らも参加してこの襲撃事件を起こしました。焼き討ちにより公使館は全焼。オールコックは政情不安な江戸から横浜に公使館を移しました。当時の江戸では非常に苛烈な攘夷運動が吹き荒れていた為、外国人と見ればそれだけで斬り殺されかねないほど政情は不安定でした。
ここで幕末で中心となる
尊王攘夷(そんのうじょうい)
という考え方についてもう少し
掘り下げたいと思います。
まず尊王は
「天皇を中心として国をまとめ直そう」
という考え方です。
細かい部分は省略しますが、
いくつかの学問の影響と
幕末期の江戸幕府の混乱っぷりから
このような考え方が強まりました。
続いて攘夷は
「外国に屈服せず追い出そう」
という考え方です。
鎖国していた日本に対して
いきなり外国が現れた事の恐怖や
アジア諸外国で列強が植民地支配を
行い始めた事がインテリ層を中心に
情報共有され始めて
「いや、欧米ダメだろ・・・」
って考え方が強まっていきました。
実はこの2つの考え方は
入り乱れていまして実際には
尊王開国派・幕府攘夷派
のように尊王でも開国派がいましたし、
幕府にも攘夷派がいました。
しかし幕末の有名な志士には
尊王攘夷派が多い為、
教科書では一般的に
尊王攘夷運動
として一括りにされています。
一方で幕府側に視点を移しますと
井伊直弼が暗殺された後、老中の
安藤信正(あんどうのぶまさ)
という人物が主導となります。
幕府は井伊直弼がやり過ぎた反省から
妥協路線に変更しました。
14代の徳川家茂の夫人に孝明天皇の
妹である和宮を迎え、朝廷との
協力関係を推進します。
この幕末期の幕府と朝廷の協力体制を
「公武合体」と言います。
しかし公武合体を進めた安藤信正も
尊王攘夷派の反発を招き、襲撃されます。
この暗殺は未遂に終わりますが、
この事件がきっかけとなり
安藤信正も辞任となります。
井伊直弼は暗殺、
安藤信正も暗殺未遂と幕府は
いよいよ手詰まりになります。
そんな幕府に対して
改革を要求したのが薩摩藩です。
薩摩藩主の父、島津久光は
孝明天皇の使者と共に江戸へ行き、
江戸幕府に改革を要求します。
本来は外様大名である薩摩藩が
何故、幕府と朝廷の両方に
繋がりが深いのか?という理由ですが
それは本作でも登場する
篤姫(あつひめ)
という女性の影響が大きいと言われます。
篤姫は13代将軍の徳川家定の夫人ですが、
摂政家の養女を経て
将軍家へ嫁いだ人物です。
この為、朝廷と幕府の両方と
つながりが深い訳です。
時代ごと歴史の影にはこのように
女性の影響がしっかりある事も
忘れてはいけない側面です。
幕府は薩摩藩の要求に応じて
様々な改革を行いますが
この時、安政の大獄での謹慎を解かれ
将軍後見職に就いたのが
一橋慶喜、のちの徳川慶喜になります。
権力欲が無く、将軍なぞやりたくもない
と思っていた一橋慶喜でしたが
数奇な運命は彼を徳川最後の将軍へ
導いていく事になります。
幕府の中に入って政治の主導権を
握ろうとした薩摩藩に対して
長州藩はどうだったでしょうか?
長州藩は吉田松陰の門下生が多かった
という事もあって尊王攘夷派が
大多数を占めていました。
さらに詳しく
長州の尊王攘夷派は有名な人物に杉文(松田松陰の妹)の夫になる久坂玄瑞、奇兵隊を作った高杉晋作、後に明治政府では木戸孝允として活躍する桂小五郎、初代内閣総理大臣となる伊藤博文などがいます。本作ローニンをプレイすると全員登場しますので、とてもわかりやすいと思います。
彼らは尊王派なので
公家たちと結んで朝廷を動かし、
主導権を握ろうと考えていました。
朝廷は長州藩の働きもあって
外国人・外国船を攻撃する
攘夷命令を出します。
こうして長州藩は単独で関門海峡を
渡る外国船を砲撃し始めました。
これに怒ったのが薩摩藩です。
薩摩藩は幕府や諸大名と連携して
改革しながら難局を
乗り切ろうと考えていました。
勝手に朝廷を抱き込んで
過激な攘夷運動を起こしつつ、
倒幕まで目論んだ長州藩は
薩摩藩から見ると危険な存在でした。
そこで薩摩藩は会津藩や朝廷内の
公武合体派と連携して長州藩と
尊王攘夷派の公家勢力を
京都から追放しました。
この事件を
八月十八日の政変
と言います。
八月十八日の政変で京都を追われた
長州藩はは京都奪還の為に
御所を攻撃しますが、
島津藩・会津藩と交戦して敗れます。
長州藩は京都を奪還出来ませんでした。
この事件が本作2章ラストを飾る
禁門の変(蛤御門の変)
です。
本作で描かれる通り、この事件で
久坂玄瑞は死亡します。
この戦いは非常に激しく、京都では
約3万戸が焼失してしまった
と言われています。
しかも長州は御所を攻撃した事で
拠り所にしていた朝廷からも
見放されて「朝敵」
となってしまいました。
泣きっ面に蜂の長州は
さらに外国からの
手痛い報復も受けます。
アメリカ、イギリス、
フランス、オランダの4ヵ国に
報復されて下関の砲台を
攻撃・占拠されてしまいます。
(四国艦隊下関砲撃事件)
こうして長州は
幕府・朝廷・外国の全てから
敵視されて孤立を深めていきます。
その大きな原因になったのが
薩摩藩という事で
長州藩は薩摩藩に強い恨みを持つ
形になったんですね。
明治維新は最終的には薩長が
協力して成し遂げる事になりますが、
この時点では両者は全く
相容れない存在だった訳です。
ココがポイント
八月十八日の政変と禁門の変に関連してくる会津藩という藩ですがここは将軍家への忠誠心がとても強い藩です。会津藩の祖である保科正之(ほしなまさゆき)は2代将軍秀忠の子で3代将軍家光の異母弟になります。妾の子として生まれた人物です。名君として知られており、その生涯を徳川将軍家に尽くした保科正之の影響から会津藩は非常に高い徳川家への忠誠心を持つ藩となりました。
【PS5】Rise of the Ronin Z version ( ライズオブローニン )【早期購入特典】 4 つの流派・武器・防具の早期アクセス(封入) 【CEROレーティング「Z」】
PlayStation 5 (CFI-2000A01) + Rise of the Ronin セット
最近のコメント