まぁこういうキャラでしょう。(笑)
固有武将の評価解説です。
今作の固有武将は
固有チャージ
固有閃技
固有無双奥義
はありませんので存在しない
項目については紹介しません。
※プラスやり込みで最強武将の
育成データにもなっています。
https://tannbura.com/%e3%80%90%e6%88%a6%e5%9b%bd%e7%84%a1%e5%8f%8c5%e3%80%91%e8%a8%98%e4%ba%8b%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81/
武将ステータス
今作は全武将共通で
技能により階級の限界突破して
能力を増やす事が出来ます。
よって全て最大です。
技能習得
勿論、全部取得。
今作は全武将で取れる技能に
ほぼ差はありません。
ステータスアップ系は少し
差がありますが、最終的に
限界突破でステータス増えるので
どうせ全部カンストするから一緒。
家紋コラム
「二つ引両」と呼ばれる
足利氏が代々使っており
義昭も使っていた家紋です。
引両紋と呼ばれるタイプの
家紋の一種ですね。
得意武器
基本武将特性
足利義昭のテーマ属性は閃光です。
神馬技能付きの軍馬で突進の際は
閃光の属性が乗ります。
シンプルな刀アクションに加えて
雷属性ですので、以外にも
結構カッコ良いです。
(義昭のくせに)
無双奥義
通常無双奥義の文字は公。
無双秘奥義は将となります。
無双奥義は武器種ごとに
汎用アクションとなります。
足利義昭のコラム
まぁこの人物はどうしても
「愚者」としてキャラクターが
作られるしかないんでしょう。(笑)
というか・・・一応固有武将とはいえ
ちゃんとした固有キャラになった
だけでも驚きではありますが。
足利義昭
室町幕府の15代将軍です。
この頃の室町幕府は長く続いた
応仁の乱の影響により
権力はほとんどなく、
ごくわずかに権威が残ってるか?
という程度でした。
しかしそれでも兄の義輝は
毅然とした将軍で、兄の方は
塚原卜伝に奥義まで授かった
剣豪としても有名です。
そんな気骨のある義輝は
松永久秀の記事でも触れた通り、
将軍を邪魔に思う勢力に
暗殺されてしまいます。
弟の義昭は当時は跡目争いを
避ける為に出家していました。
何事もなく20数年は
興福寺というお寺にいました。
世の中が彼を世俗に戻さなければ
そのまま興福寺で高僧に
なっていたかもしれません。
しかし、将軍席が空席に
なってしまった為に
義輝の近臣であった細川藤孝らの
計らいによって密かに
興福寺から脱出します。
足利将軍家の当主を継ぐ事を
決意した義昭ですが、
彼の苦難はここから始まります。
様々な大名に上洛の為の
要請を出しますが・・・
名ばかりの将軍家にそこまで
忠義を示す大名はおらず、
多くの名門の戦国大名たちは
彼の要望をスルー。
結局、新興勢力だった織田家の
信長が協力して上洛します。
・・・まぁこの義昭という人物は
ずっと世俗を離れていましたから
あんまりリアリズムが無いピュアな
人物だったのか・・・それとも
将軍家の威光を本当に妄信していた
のかわかりませんが・・・
あまり現実が
見えていなかった事は確かです。
結局、どうせ将軍家に力が無い事に
変わりはないので信長の傀儡に
なる事は丸わかりだったんですが
信長の傀儡になる事に耐えらない
義昭は信長と対立し始めます。
しかし、自分自身には
信長を排除する力が無いので
色んな大名に手紙を出しまくります。
相当な筆まめだったようですね。
(字を書くのは上手かったようです。
文化人のような人生だったら
もしかしたら才能を発揮したかも。)
こうして途中までは織田包囲網を
作り上げて裏から信長を苦しめます。
そして待ちに待ったあの最強格の
武田信玄の上洛開始。
信長を排除したい義昭としては
遂に信長ジ・エンドの時が来た!
と舞い上がった事でしょう。
(どうせ信玄の上洛が成ったとしても
信玄の傀儡だったでしょうが。)
信玄の上洛開始に合わせて
義昭は信長に対して挙兵。
きっと信玄が来てくれれば
何とかなる!と思っていたのかも
しれませんが・・・信玄は病死。
あっけなく信長に敗れて
遂に京を追放されます。
(流石の信長も将軍殺しは
イメージ悪いという事で
彼は殺されませんでした。
一応、足利家の権威が
生きた形ではあります。)
その後、信長と対峙する
毛利家に転がり込んでからも
対信長の不屈の闘志を
燃やし続けます。
相変わらず手紙作戦で
色んな有力者に信長の悪口を
書きまくって「信長討とうぜ!」
と誘い続けますが、望み叶わず。
結局、信長自身は本能寺に倒れますが
その後も秀吉の時代となり
流石の義昭もいい加減、将軍家には
天下人のイスは回ってこない事を
諦めてか秀吉の九州征伐後に
将軍を辞する事になりました。
ここに遂に義昭の
足利復興ドリーム物語が終焉しました。
ちなみにそうは言ってもですね。
彼は戦国の世で考えれば
実はかなりの成功者なんですよ。
晩年の義昭は秀吉から厚遇されて
前将軍ということもあり、なんと
徳川家康
毛利輝元
上杉景勝
のような大大名よりも上位の席次を
秀吉から与えられています。
秀吉の御伽衆(話し相手)にも
入りまして秀吉の
良き話し相手だったようですね。
戦国の世は多くの大名が
滅びて悲惨な末路を辿りましたから
それを考えれば、義昭は
天下人にこそなれなかったものの
当時の平均から見れば相当な
成功者の人生とも言えます。
将軍を辞した後は出家し、
昌山道休と号します。
紆余曲折あって、再び仏の道に
戻ったという訳ですね。
戦国大名(将軍)としての
能力は乏しく現実が
見えていなかったかもしれませんが
彼も戦時ではなく、平時の時代
であったなら別の才能を
発揮していたかもしれないな
と思わせるような人物ではあります。