死ぬくらいなら会社辞めればが出来ない理由を僕なりに考えてみた
死ぬくらいなら会社辞めればが出来ない理由
を読んでみた感想を今回は紹介する。
本の内容そのものついては、ほんの少しつまむ程度にしか触れないが
すごくわかりやすく温かみのある漫画入りで
実際の事例を交えて紹介されているのでとても分かりやすい。
ホントに仕事でヤバい・・・って段階に行く前に
仕事について悩む人は是非一読をオススメしたい。
内容で気に止まった点をピックアップ
「不幸競争」に参加しない
辛い時に周りが
「俺たちはもっと辛かった」
とか言ってくるけどそういう不幸競争に参加しない方が良い
という話が出てくる。
これは僕の実体験としても大変良く解る。
兎に角、
日本人は不幸自慢が大好きだ。
赤穂浪士の討ち入りのように
自己犠牲の精神が非常に美化される国民性なので
ある程度、しょうがない所のかもしれない。
ただ、
本当に自分の人生を賭して使えるべき主であれば
自己犠牲の精神が起こり得るのかもしれないが
嫌で嫌でしょうがない相手、組織に対して
サッサとそこから逃げ出すという事
辛いという声を上げる事
それはそんなにおかしなことなのだろうか?
俺はこんなに苦労した!
という事を武勇伝のように語る人は
幸せの価値感がかなり違う可能性もあるので
不幸になる事が大好きでしょうがないという
スーパーマゾな人でなければ
不幸自慢に付き合う必要は無いと思う。
人生のハンドル
君の運転する車には
いろんな人が乗り込んでくる
そして勝手な事を言う
自分の人生のハンドルは
しっかり自分で握って決断した方が良い
という話が出てくる。
これは本当にその通りだ。
自分はバカだから、
自分で考えても良い答えは見つからない。
バカだから自分では考えず
人の言う通りにしよう。
という事を考えていた。
人生の数十年間は
手放し運転をしていたようなものだ。
いくらバカだとしても
自分でクズ人間だと思っていても
ハンドルだけは手放してはいけない。
僕はその事を本当に後悔している。
俺がやらねば誰「か」やる
真面目過ぎて心身共に疲弊してしまう人に対して
この言葉は本当に良い言葉だと思う。
大体、会社なんてものは
あなたがいなくても回る。
僕の事例の場合は
あまりにも僕がダメ社員過ぎたので
僕が言ってもあまり説得力が無いかもしれない。
むしろ中々今の制度ではクビを切れない正社員が
いなくなって無駄飯を食わせる必要が無くなり
業績が上がった可能性すらある。
まぁ、少なくとも僕が辞めた後も
会社は問題無く回っているだろう。
多くの人にとってはそこまででは無いかもしれないが
会社にとってあなたの存在を過大評価し無い方が良い。
繰り返しになるが
別にあなたがいなくても会社は回る。
「ねたむ」より「うらやむ」
うらやむ
自分をその人の位置まで高めたいと思う
ねたむ
その人を自分の位置まで落としたいと思う
「ねたむ」人が多いという話が出てくる。
これは本当に日本社会の大きな問題だと思う。
ネットなどを見ていれば顕著に良く解る。
気分が悪くなるので僕自身あまり見る事も無いが
ネットの世界には
とにかく相手を妬み、憎悪して罵詈雑言の攻撃ばかり
している人達もいる。
SNSのアカウントなど見ると
年がら年中とにかくあらゆる人に攻撃し
嫌がらせをしているようなヤバいアカウントもある。
日本社会にこの「ねたむ」人が多い理由は
やはり社会全体に
同調圧力が非常に強く、
相互監視社会のように
他人をとても気にし過ぎる風土がある為だと僕は考えている。
人それぞれいろんな生き方があって
あんまり他人なんて気にする必要無いじゃん?
って考え方が本流であれば
おのずと他人の事なんか良くも悪くも気にかけない。
しかし同調圧力が強過ぎる風土がある為
必要以上に人の事を気にしてしまう。
そうすると必然的に
「ねたむ」人が多くなるのだと思う。
何せ、自分を高める為に行動するのは
大きなエネルギーがいる。
それよりも人を攻撃した方が手っ取り早い。
結局のところ、解決方法としては
生き方の多様性を認めて
相互監視社会のように人を気にし過ぎる風土を変えていく
しかないんだろうと思う。
僕が考える死ぬくらいなら会社辞めればが出来ない理由
最後に
死ぬぐらいなら会社辞めればが出来ないワケを
僕なりに考えてみたいと思う。
まずこの問題は
追い詰められてる人間の心理状態による理由と
日本社会全体の風土による理由の
2つに分けた方が良い。
追い詰められてる人間の心理状態による理由は
学習性無力感
茹でガエルの法則
この2つだと思う。
学習性無力感というのは
サーカスの像が子供の頃から
紐で捕まっていると、大人になって力が強くなり
逃げだせるパワーがあるのに逃げ出さない。
というのがよく例にされる。
過度のストレスを受けると人間も逃げ出すという
選択が見えなくなる。
洗脳とも言うかもしれない。
茹でガエルの法則というのは
有名なので多くの人がご存じだと思うが
ゆっくり温度を上げると
カエルは熱湯の中で死ぬまで逃げないという現象。
人間も環境に慣れる生き物なので
こういう事が起こる。
まぁ環境に慣れるという事は本来は適応力の話だから
良い事なのだが、死ぬような環境でも
気が付かない恐れもあるので常に広い視野は持たないといけない。
ちなみに経済的貧困により
本当に仕事が辞められないというケースは
0では無いと思うがごくごく稀だと思うので
僕は死ぬぐらいなら会社辞めればが出来ない理由に
経済的貧困が大きな要因にあるとは思わない。
さて、
ここからが重要だと思っているのだが
追い詰めれた人間の心理状態による個別の理由だけなら
過労死が英語辞書で
「KAROSHI」となってしまうような
日本特有の問題になったりしない。
日本ではこれに
日本社会全体の風土による理由が乗っかってくるから
実に厄介だ。
日本社会全体による理由として
洗脳教育
同調圧力が強い国民性
この2つだと思う。
洗脳教育はもう言うまでも無い。
学校は会社にとって都合の良い人材を
供給する為の教育に特化している為
組織の中で従順に歯車として回りましょう!
という教育をせっせと行う。
家庭教育についても多くの親は
過去に自分たちが受けてきた教育を
子供に受け継いでいく訳で、家庭教育についても同様。
これにより
会社を辞める=人間失格
会社を辞める→人生はワンチャンスだからバッドエンド
という事を子供の頃から強烈に擦りこんでいく。
これでは辞められるはずもないと思う。
そしてこの教育と上手くシナジーしてしまっているのが
同調圧力が強い日本人の国民性だ。
僕は同調圧力が強い事のデメリットばかり触れているが
勿論、良い部分もあるのだろう。
皆で一丸となって取り組むという事なので
それが良い方向に行く場合もある。
ただ、現在の働き方の社会問題に限って言えば
この同調圧力が強いという事は
非常に大きなデメリットになっていると思う。
人と違う事をすると
「アイツは変なヤツだ。」
とレッテルを張られる。
「なんでアイツは違う事をしているんだ!」
と強烈な同調圧力により妬みの問題も起こる。
面と向かって言われる事は少ないかもしれないが
日本社会にはこの無言の圧力がとても強い。
「忖度しろよ!ゴラァ!」
という圧力を受け続ける訳だ。
ちなみに日本固有の問題として
社会保障制度はどうなのか?
という所もあるのだが、確かに
失業保険は受け取り辛い制約も多い。
(ちなみに僕は条件に該当しない為、失業保険は受け取っていない)
生活保護などのセーフティーネットについては
僕は受けた事が無いし、正直あまり詳しく無いので
外国に比べてどうなのかというのは良くわからない。
ただ、僕の肌感覚で言わせてもらえば
どちらかというと社会保障制度の問題というよりは
国民性、風土の問題が大きいように思える。
終わりに
僕の場合は、ポッキリ折れて体調も崩して仕事も辞めた後に
色々時間を持て余して、本を読むようになって
この本を手に取った為、時すでに遅しだった訳だが
まだ大丈夫だ!という人こそ
そのうちに読んでおくことをオススメしたい一冊じゃないかと思う。
この本の中の
辞めて、どうなるの?という章で
すまないが
そんなことは
わからない!
ごめんなさい!
と出てくる。
僕も現在はこうやって
働き方について、辞めてもいいんじゃない?寄りの立場で
色々書いているので読んで頂いてる方の
辞めて、どうなるの?という問いにこう答えるしかない。
すまないが
そんなことは
わからない!
ごめんなさい!
僕自身、現在は無職で
今後社会復帰出来るのかどうかもよくわからない。
ただ、この本でも書いてある通りだが
未来というのはどうなるかわからない。
わからない事を考えるのは時間の無駄だと思う。
現状が嫌なら現状を抜け出すしかない。
時間の無駄と言えば、同様に
過去を悔いる事も意味が無い時間の無駄なのだが
これは書いている僕自身も
中々、その通りにする事が出来ない。
今でも会社にいた時の事が夢に出てきてうなされるし
後悔の念が頭を離れない。
未来の事だって、いくらなるべく考えないようにしても
月々目減りする貯金を見ながら
全く不安を覚えないほど豪胆な性格なら
そもそもこれまで苦労していないだろう。
だから実践する事が難しい事は
実体験を通しても良く解っているが
しかし
わからない事を考えるのは時間の無駄だというのは真理だ。
であれば、周りが何と言おうが
自分が現状を変えたいと思ったなら
素直に行動するべきだと思う。
暫くの間、社会保障制度のお世話になろう位の
太々しさがあった方が良いかもしれない。