【ニュース・時事ネタ】

退職するまでの人生を振り返って

せめて僕の失敗の経験が
反面教師として誰かの役に立つ事を願う。

初めに

さて、退職後約2ヵ月が経ちようやくだが
今回から「生き方」というカテゴリーで
主に働き方の問題を中心とした僕の思いを
週1ぐらいのペースで発信していきたいと思う。

まずは手始めに僕が完全に自分の経験だけで
お話し出来る内容として退職するまでの人生を振り返った
失敗の歴史を紹介してみようと思う。

自分自身振り返って思い返すだけでシンドく、
他人に公開するのは恥ずかしい過去ばかりだが

これを読んで考え方を変える事が出来る人、
まだ後戻りが出来る人、
そんな方が一人でも生まれる可能性があるなら
僕のダメ人間さなどいくらでも公開しよう。

小学生時代

僕は1987年、昭和62年生まれだ。
自我が少しずつ確立し出した小学生時代、
ある意味自分の認識できる中で最も幼い頃からの悩みは
「人とのコミュニケーションが苦手」

という事だった。
先天的か後天的かは自分でもわからない。
気が付いた時にはそうだった。

人の目を見て話す事が出来ない。
どころか、目を見ようが見まいが言葉が出てこない。
前から人が歩いてきただけで思わず別の道に逃げてしまう。

まぁそんな子供だった。

当然、あまり友達は作れず
かと言って体力や学力にも自信が無かった為
スポーツや勉強に没頭する事も無かった。

せっかくなので僕の発信のメインの一つである
ゲームと関連させた事も紹介すると
この辺りから
インドア系の一人遊びの趣味に没頭するようになった。
ゲーマー人生のスタートとも言える。

僕が小学生の頃は少し時代遅れだが
ファミコン、ゲームボーイ、スーパーファミコンで遊んでいた記憶があるが
親にはあまりゲームを買ってもらえなかった。

数年間スーパーマリオとドラクエⅢの2本しかファミコンソフトが無かったので
親の目を盗んではゲームして何百時間もやり込んだ。

後は数少ない友達の家に入り浸って毎日のようにゲームしていた。

思えば、友達は皆
・ゲームは沢山買ってもらえる
・1日ゲーム何時間までという家庭ルールがない

そんなヤツばかりだったので
自分がゲームやりたいが為に打算的に
友好関係を築いていたフシもあったのかもしれない。

中学生時代

この頃から勉強がつまらなくなり、
学力は完全についていけなくなった。

幸いにも僕が入った地元中学は
地域でも当時屈指の不良中だったので
学力は頑張らなくても相対評価でそこまで落ちる事は無く
「中の下」を保つ事だけ考えて学生生活を送っていた。

風紀が良い学校じゃなかったので
イジメ的な事を受けないようひたすら影を潜めて過ごした。
小学生の頃からコミュ症を拗らせてきたので
ステルス性能はバリバリ上がっていた。

僕の子供の頃はスマホどころか携帯電話の普及率も微妙だったので
リアルの関係で空気読み、後はステルスしておけばOKだった。
SNSとかも無かったし。

ゲームに加えて、マンガ、アニメなどのオタク趣味に傾倒していた。

コミュニケーションの苦手意識は高まる一方な上
おまけに勉強もついていけなくなった為
この頃には既にかなりの自虐史観を持っていた。

ある意味、早熟とも言えるが
ダメ人間だからこそリアリストで将来を考えており
夢の無いリアリストだったからか
幸いにも厨二病のような感覚をほとんど体験する事無く
中学時代を終えた。

高校生時代

高校は公立の工業高校に進んだが
その理由も大変お粗末なもので
中学生時代のゲーム友達がそこに進学するという事で
単に知ってる人がいる所にしようというだけだった。

こういう悩みが無い人にはその程度の事
思われるかもしれないが
小学校、中学校で血を吐くような思いで
築き上げた人間関係をまた0から再スタートさせるというのは
耐え難い苦痛であり、どうしても知り合いがいる所を選択したかった。

しかし近視眼的で安易な選択には相応のオチがあって
結局その中学生時代のゲーム友達連中は直前で
進学先を変えてしまい、誰も知り合いがいない高校生活がスタートした。

また、工業高校というのは
どちらかというと理系なのだが
僕は特に数学が赤点スレスレだったので
学生としてはかなり馬鹿みたいな選択をしてしまった。

中学の先生や当時親に通わされていた塾の講師には
「どうして数学が大嫌いなのに理系の工業高校に行くんだ?!」
とかなり呆れられた。

まさか
「知り合いが一緒に入りそうな高校にしました」
とも言えずに暗い高校生活の幕が開いた。

この頃から
問題を先送りするズルさと
ダメ人間だから自分で主体的に考えてもしょうがない

という間違った自虐史観は確立してしまい
10数年後に致命的な事になるまで問題に気が付かない。

だが、
高校時代は本当に幸運に助けられた。

勉強はどうしようもないので学業としては致命的だったが
入った工業高校はたまたま
かなりオタク気質のある学生が揃った高校だった。

相変わらずコミュニケーションはダメダメだったが
幸運にもゲームなど共通の趣味で意気投合する悪友達に恵まれて
かなり楽しい高校生活を送る事が出来た。

現在の友好関係にも通じている事から
本当に高校の選択はたまたま運が良かった。

勉強は全く出来なかったので
学生として必ずしも良い選択では無かったかもしれないが・・・

この頃のゲーム談義で盛り上がるという
楽しかった経験は
後々に動画サイトやブログで自ら発信して
共通の趣味を持つ仲間と楽しい事を共有する場所作りをしたい
という原動力になったのだろうと思う。

専門学生時代

工業高校だったので高卒で就職する学生が
過半数を超えていたが、
結局就職せずソフトオペレーション系の専門に進学した。

理由は二つあって
一つは親には申し訳無いが、まだ社会で働く自信が全く無く
もう少し就職を先延ばししたかったという事。

そしてもう一つは高卒の就職先は現場労働系の仕事が多かった為、
小学校からずっと体育は赤点ギリギリだった僕は
肉体労働系の仕事は到底無理だろうと諦めたからだ。

これも後々考えれば現場職と言っても
あからさまなガテン系の仕事で無い限り
そこまで体力勝負になる事はないから、馬鹿だった僕は
下手に頭使う仕事より良かったはずなのだが
当時18歳の頃はそこまで考えが及ばなかった。

既にこの頃には自分の社会的適正・能力を
極めて低く見積もっており自虐ネタが定番となっていた訳だが
流石に就職について考える頃になると
現実的にどうするか考える必要があった。

・人とロクに話せないコミュニケーション能力の低さでも
・勉強全然出来ない馬鹿でも
・体育が常に赤点ギリギリで体力に自信が無くても

何とかできる仕事は無いかと考えた結果
パソコンを前にした単純事務労働職
みたいなものが良いのではないかと思い、
ソフト操作系の専門に入った訳だ。

専門学生時代には初めてアルバイトを始めた。

100円ショップのレジ打ちのアルバイトだったが
働いてみて改めて自分の労働意識と能力の低さを実感した。

専門の2年間クビにならなかったのは
オープニングスタッフとして入った事も含めて
いろんな幸運が重なった結果だろう。

将来は何とか
中小企業の正社員でかつ窓際社員という
日本の労働者既得権益にしがみついて生きていこう。
どうせこの性格と能力では生涯家族を持つ事も無いだろうから
適宜遊びながら生きていけるだろう。

という極めてダメ人間思考が完成していた。

夏目漱石の著書にも出てくる
明治時代から昭和初期に使われた
高等遊民

という言葉があるが
自分の頭の中で
下等遊民、下等趣味人
などの造語を作って将来を妄想していた。

社会人(サラリーマン)時代

専門に2年通って20歳で就職した。
就職先はプロフィールなどでも紹介してる通りだが
僕は地元を離れるのも面倒だと思っていたので
地元のある車会社の関係会社に就職した。

日本の車会社は5つ前後なのでまぁそのどれかだと思ってもらえればいい。

親会社の本社もすぐ近くにあり、そちらに就職する手もあったのだが
関係会社とはいえ大企業よりも規模が小さい中小企業の方が
仕事がラクなのでは無いかと当時は考えていた。

これは大変な大間違いで実際中小企業の方が仕事が
大変なケースは多い。

大企業の場合は部署も多いので
最前線のクソ忙しい部署からあまり仕事の無い窓際の部署まで
幅広い為、出世コースから外れても良ければ
むしろ大企業の方が自分の働きやすい部署とマッチングしやすい
という利点もあるのだが
そんな事は会社で働いた経験も無い人間には知るよしも無い。

結局
「規模は小さいけどアットホームな会社です!」

という今考えるとかなり怪しいワードを信じて会社を選んでしまった。

今では猜疑心と自虐史観の塊のような人間になってしまったが
こう見えて昔はまだまだ純真無垢だったのだ。

会社に入ってすぐにどうしようもないボタンの掛け違いが起こった。

なんと単純作業のソフトオペレーターでは無く
バリバリのホワイトカラーである
設計技術者として配属されてしまったのだ。

まぁ新卒で入ってお目当ての職種に付けないというのは
良くある話かもしれないが
しかしそれでも専門ではソフト操作だけしかやっていないのだ。

理系の知識も無ければ、
そもそも車にもモノづくりの精神にも興味が無い。
大体プレゼンや会議どころが
ロクに世間話のコミュニケーションも出来ないのだ。

技術者なんか出来る訳が無いのに
「どうしてこうなった?」
という気分だった。

ここまで読んで頂いた方は
学生時代からのダメさ加減が良く解ってると思うので
この先の展開は容易に想像頂けると思う。

ここまで致命的なアンマッチである。
当然のように仕事は上手くいかず
毎日のように上司や教育係から叱責される日々が続いた。

こんな社員がそれでも10年間クビにならなかった訳で
辞めさせられないという日本の正社員の既得権益は
ある意味凄まじいな。

と肌身で感じた。
社員側にもそれが幸福な事なのかは断言出来ないけど。

確かにこんな労働環境なら無能な社員も囲わざるを得ないから
労働生産性は下がるし、

決して仕組みを擁護するつもりもないが
追い出し部屋とかいう社会の歪みが出るのだろうなという
問題点は身を持って理解した。

半年もしないうちに辞める事しか考えていなかったが
2年は我慢し続けようと決めた。

これも洗脳と言えば洗脳されていたのだが
専門時代の先生に
「日本の社会ではすぐ辞めると社会不適合者の烙印を押されます。
そうすると、再チャレンジは困難になります。
なので、最低でも2年は我慢して続けましょう。」

という事を何度も言われていた。

石の上にも三年
ということわざが高く評価される国である。
そう考えるとそれでも2年と言ってくれたのは
寛容な先生だったのかもしれないが・・・

会社でも予想通り仕事が出来ずに叱責される日々が続いた為
学生時代から拗らせた自虐史観は一層高まり
「馬鹿な自分だから自分の明確な意思で決めても間違うだろう。
誰かの言う事に従った方がいいかもしれない。」

と考えており専門の先生に言われた事だけを信じて
2年我慢し続けた。

僕の長いゲーマー人生の中で
この2年間だけはゲームの目的が完全に現実逃避
だった為、唯一ゲームとの向き合い方が不誠実だった期間かもしれない。

ひたすら心を無にして会社に行き
ようやく2年が経とうとしていた頃、退職を強く決意した。

しかし当時確か2009年の後半頃だったと思うのだが
リーマンショックの影響で景気の状態は最悪。

その後、政権を担った当時民主党の運営も悪かったのだろう。
景気、特に有効求人倍率は悲惨なものだった。

多くの人に怒られる事を覚悟で言うと
僕は30歳過ぎるまで選挙にもロクに行かなかった位の
生粋のノンポリで政治・行政には疎い人間だが
この頃の強烈な経験で、当時の民主党と今も残るその系列の議員には
強い拒絶感を覚えている。

誰かのせいにしてもしょうがないのだが
当時の僕は心身共にかなり摩耗しており、
怒りを抑える事が出来なかった。

「何故自分は2年も我慢したのに、どうして自分だけこんな目にあうんだ」

そんな事をずっと考えていた記憶がある。

また正社員になろうと思っていた事自体が
視野狭窄だったのだが、何のスキルも経験も無い自分に
正社員としての転職は当時絶望的。

そこで散々悩んだが、意を決して
上司に会社内で別の職種があれば変えてもらえないか。
というような打診をしてみた。

理由についても悩んだが
僕のいた会社は若手が弱音を吐いても
「甘ったれるな!」
で結局は終わりみたいな社風があり、
仕事・人間関係が嫌でしょうがないというような
正直な理由で相談していた若手が何人か撃沈したのを見てきたので

残業が厳しいという理由で進言した。
当時は今と違い時間外労働も
「甘ったれるな!」
という雰囲気が社会全体に強くあったし
僕の会社は残業なんて年がら年中、常態化していたし
僕は公共交通機関で通っていたという事をいい訳にして
残業時間は少なかったからどうかとは思ったが
流石にそう言われて表だっては批判出来なかったのだろう。
前向きに部署異動が検討された。

この頃ぐらいには
確かに僕自身はダメ社員だが
それとはまったく別の問題として

精神を病んで、休職・退職する社員も一定数おり
残業は常態化してるし、会社の雰囲気は濁っていたので
会社自体にもかなり問題はありそうだな。
という認識は持っていた。

結局の所、一旦は上司・教育係が別の人間に変わり
残業しないで良いよという免罪符をもらっただけの対応だったが
問題の根幹はそこでは無かったので、解決しなかった。

当時、相談に乗ってくれたチーム全体の統括上司は
良い人間だったと思うが、
僕が仕事出来ない社員だという事に変わりは無い為
扱いにはかなり困ったんじゃないかと思う。

程なくして転機が訪れた。
現役引退したロートルの設計技術者を中心とした
新設部署が出来て、そこに異動しないかという打診が来た。

最前線の技術部署よりは仕事のボリュームが少ない為
残業もほとんど無く働きやすいだろうという配慮だった。

これには超絶喜んだ!
ロートルの方々には大変申し訳無い言い方だが
これは見方によっては夢にまで見た窓際部署では?!

そんな所に一人20代前半で入るのはどうなのか
という客観的な意見はあるのかもしれないが
僕は即時飛び付いた。

残念ながら別部署とはいえ
設計技術者という立場に変わりは無かったので理想には及ばないが、
現状よりは大分マシになるだろうという計算だった。
一瞬、追い出し部屋の類かとも懸念したが
まぁそれならその時考えようという気持ちだった。

それから5年間ぐらいは本当に平和な日々が続いた。

単純作業オペレーターになれないのは
残念だったが、流石にいくら僕がダメ社員でも
5年もいれば新卒の新人よりは会社の事は解っている。

狭い会社で結局、同じ部屋の中での仕事だったから
前の部署の人と毎日顔合わせる事や
仕事が大変な部署ではどんどん若手が潰れていくのを
横目で見ながら一人、窓際部署でコーヒーを啜るのは
若干の罪悪感もあったけれど。

残業もほとんど無く、
この部署だったら続けていけそうだなと思い始めて
心にも時間にも
ようやくゆとりが生まれ始めた。
2010年~2015年ぐらいの話である。

お気付きの方もいるかもしれないが
この頃にやっと社会人として落ち着く事が出来、
それが動画投稿を始めたきっかけにもなった。

2015年にニコ動で投稿し始めて
就職してからもずっと地元就職だった事もあり
実家暮らしだったのだが
翌年の2016年から念願だった一人暮らしも始め
並行してYouTubeでも投稿し始めた。

ワークライフバランスという言葉は
究極的には決して理想的な考え方では無いと思うが
仕事が落ち着く事で、
趣味などの私生活がより充実するという事は
多くのサラリーマンにとっては現実なんだと思う。

僕の幸運は長く続いた方だと思うが
元々が不安定な地盤だ。
終わりは訪れた。

新しく変わった社長により
たるんでる部署だと目を付けられ
様々な業務改善を促されてしまった。

将来的な部署の取り壊しも検討され始めた。

僕にとって平穏だった仕事環境は日に日に
昔のような余裕の無いものに変わっていった。

それでも他の部署よりマシだったが
自分は5年以上のんびりとしていた窓際社員だ。

この場所が無くなれば
即・ジ・エンドである。

また、僕にとって昔以上に
仕事がつまらないものになっていた。

結局、辛かったか少しラクになったか
という違いはあったにしろ
「俺は仕事したぞ!」
という達成感は遂に10年間味わう事の無かった人間である。

最後に仕事したな~と感じた記憶は
100円ショップのバイト時代まで戻らなければいけない。

叱責されてるか、
あたふたしてるか、
暇か、

10年間、仕事がロクに出来なかったダメ社員なので
仕事の達成感は全く無く
「何故これで給料がもらえるのか?」
という事が最後まで解らなかったぐらいだ。

キリスト教では労働は神から与えられた罰だという
位置付けらしいので、そうだとすれば
嫌な思いをした見返りの給料という事かもしれないが。

オマケに動画サイトやブログなど
ネットを通して色んな考え方がある事も知ってしまった。
それまでは仕事柄パソコンは使えたが
あんまりネットサーフィンとかするタイプでは無かった。

少しずつではあるが
会社や学校などから受けてきた洗脳教育に対して
「流石にそれじゃ日本の働き方、生き方って息苦し過ぎませんかね?」

というような事を率直に思うようになってきた。

様々な思考が交錯したが
2017年には明確に退職を再度決意した。

終わりに

若いうちからちゃんと勉強して
コミュニケーション能力も上達させましょうね。
等と言うつもりは毛頭無い。

ここは別に自己啓発ブログでは無いし、
そうじゃなくて
世の中にはもっと多様な生き方がある事
多様な考え方がある事を
もっと早い時期から知る事が出来ていたら
僕の人生にも違った道があったのかもしれないと思う。

何とか取り繕って
正社員のサラリーマンを続けたこの10年間は
確かに僕自身も日本風の正社員の甘いミツを
吸う事が出来ていたという見方も出来る。

ヒラ社員だったとはいえ、年功序列で毎年給料は上がってたし
そもそもクビにならなかった。

だけど本質的に10年で何を得る事が出来たか?
と考えると本当に空虚な時間だったと思う。

僕は宗教の考え方について否定も肯定もしないが
僕自身は
人生というのは残念ながら一度きりしか無いのだと思っている。

最近の流行りのラノベのように
死んだ後、異世界に転生したりは出来ないだろう。
まぁ出来たとしても
スキルとかチート能力?みたいなご都合的な能力付与が無いと
現代人が転生して幸福な未来は無いと思うが。

話を戻そう。
だから時間というのはとても大切だ。

これを読んでくれている方がどのような生き方をしているのか
僕には解らないが、
充実した毎日を送る事が出来ているだろうか?

100%の理想論をここで掲げるつもりも無いが
是非一度、考えてみて頂きたいと思う。

せっかく、時間は大切だという話をしたので
この記事をここまで読んでくれた方。
また僕のブログや動画など見る事に時間を使ってくれている方に
改めて感謝申し上げる。

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たんぶらぁ

ゲームブロガー,動画投稿者(YouTube,ニコニコ動画),ゲーマー
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