何故、武器が大槌なのか不明ですが・・・
無双武将の評価解説です。
※プラスやり込みで最強武将の
育成データにもなっています。
https://tannbura.com/%e3%80%90%e6%88%a6%e5%9b%bd%e7%84%a1%e5%8f%8c5%e3%80%91%e8%a8%98%e4%ba%8b%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81/
武将ステータス
今作は全武将共通で
技能により階級の限界突破して
能力を増やす事が出来ます。
よって全て最大です。
技能習得
勿論、全部取得。
今作は全武将で取れる技能に
ほぼ差はありません。
ステータスアップ系は少し
差がありますが、最終的に
限界突破でステータス増えるので
どうせ全部カンストするから一緒。
家紋コラム
赤鳥紋と呼ばれる紋の形が今作の
技能習得画面では使われています。
今川義元は家紋を2種類持っていました。
もう片方は足利二つ引両というヤツですが
今作で使われてる赤鳥紋は今川家でも
義元だけが使っていた紋ですので
言い方を変えれば義元の紋です。
赤鳥という名前ですが
鳥のマークではなく、
櫛(くし)のマークです。
得意武器
今川義元の使用を
イメージしている銀武器は
星震轟槌
何故か今作では義元の得意武器は
大槌ですので・・・
唯一の大槌銀ランク武器です。
基本武将特性
義元のテーマ属性は金剛です。
神馬技能付きの軍馬で突進の際は
金剛の属性が乗ります。
まぁそこそこ属性ダメージでも
威力が上がりますので
悪くはないでしょう。
固有閃技
破海
地面に槌を叩き付けて
その後、爆発系の衝撃波を
周囲に放ちます。
周囲全方位に攻撃出来るので
囲まれた場合でも有効ですね。
威力も非常に高いです。
固有アクション
義元はチャージ1とチャージ6が
固有チャージです。
チャージ1は打ち上げ攻撃ですが
空中に打ち上げた敵を
叩き付けの衝撃柱で追撃します。
柱は周囲に3本発生しますので
背後以外には攻撃判定あり。
全て溜め攻撃の為、
発生が遅い大槌のチャージ攻撃
の中ではまだ発生が早くて
使いやすい部類です。
チャージ6は超ロマン技です。
元々攻撃が遅くてさらに
溜め攻撃となる大槌のチャージで
一番最後のチャージ6という時点で
既にかなり使い辛さが目に見えます。
溜めた後に大槌を構えて
戦車のごとき重突進。
ぶつかった敵を吹き飛ばして
進んでいきます。
最後に爆発衝撃波で締め。
決まれば凄い威力のチャージ攻撃
ですが・・・固有チャージとはいえ
チャージ6の技なのでかなり
発動が難しいですね。
ロマン技の部類かな。
無双奥義
通常無双奥義の文字は貴。
無双秘奥義は圧となります。
無双奥義&無双秘奥義
ズームカメラで大槌を構えて
アンダーから逆袈裟で
かっ飛ばし。
豪快且つ、シンプルな1発攻撃です。
無双奥義・皆伝
皆伝ではかっ飛ばしで
空中に打ち上げて
さらに強烈な叩き付けで
周囲全てを吹き飛ばします。
最後に見上げるアングルで締め。
今川義元のコラム
戦国無双5では本当に珍しく
「カッコ良いちゃんとした
武将の今川義元」
となりました。
今川義元好きの一人として
コーエーテクモさんには
深く感謝したいと思います。
そうなんですよ・・・
この今川義元という武将は
戦国武将の中でもかなり
知名度は高いと思うんですが・・・
その知名度の高さは
「織田信長に負けた」
という不名誉な要因からの
知名度の高さだと思うんですよね。
(汗)
基本的にこの武将は
桶狭間で若き日の信長に
討ち取られてしまった為、
後世のエンタメ作品だと
「才能あふれる信長に討ち取られる
情けない武将キャラ」
として描かれることが
圧倒的に多いキャラなんですよ!
後は公家文化に傾倒していたので
貴族っぽいキャラとして
描かれることも多いです。
(お歯黒、蹴鞠とか)
僕は常々、今川義元が情けない武将
という昨今の歴史系作品の風潮に
モノ申したいと思っていましたので
今作の今川義元は
大変高く評価しております。
コーエーさんの別作で仁王2でも
今川義元が登場しましたが
あちらの義元も良いと思います。
最近はようやく義元が
カッコ良く描かれる作品が
増えてきた印象です。
今川義元は凄い戦国武将なんですよ。
今川義元
「東海一の弓取り」の異名を持ち
駿河、近江、三河を束ねた大大名です。
毛利元就、武田信玄、上杉謙信、
北条氏康、織田信長、豊臣秀吉
これらの人物に義元を加えて
戦国七雄と称される事もあります。
そんな義元ですがどうしても
桶狭間の敗戦により
無能な武将というレッテルを
はられる事が多い人物に
なってしまいました。
しかし彼は軍事改革の領国経営など
数々の才能を発揮して今川家の
最盛期を築き上げた
才覚溢れる大名です。
父親である今川氏親の三男として
義元は生まれました。
彼が生まれた時には既に別の跡継ぎが
いましたので彼はすぐに仏門に出され、
幼少期は寺で学識を深めます。
その後、他の跡継ぎ候補が相次いで死亡。
さらに家督相続の内乱を制して
今川家の家督の当主となります。
今川家の当主となった後は抗争状態だった
甲斐の武田氏と同盟を結びます。
武田信虎(信玄の親父)の娘
を正室に迎えて
武田氏と休戦しますが、結果的に
旧来の盟友だった北条氏の怒りを
かってしまい北条氏と
敵対関係になります。
北条氏相手に難しい戦いが長期化する中、
尾張の織田信秀(信長の親父)が
三河国に侵攻してきます。
桶狭間の前に義元がどんな戦していたのか
知らない方がほとんどだと思いますが
このように武田と同盟状態にあり、
敵対する北条氏や織田氏との
戦いが中心でした。
詳細はここでは書きませんが、
結果的になんやかんやあって
北条氏(この時は当主は既に北条氏康)
との戦いは実質上、今川氏が勝利。
しばらくは北条氏との禍根がありましたが
北条氏の侵攻方向が
関東方面へ移行した為に
その後の緊張関係は
少しずつ緩和されます。
一方で三河方面においては敵対する
織田氏との力関係は明白ですし、
後は力の弱い松平氏程度しかいないので
ずっと今川無双状態です。
信長が桶狭間で義元を討ったので
何とか織田氏は窮地を脱しましたが
ギリギリまでヤバい状況でした。
力が弱い松平氏が竹千代(徳川家康)
を人質として義元に出したのは
家康の話で登場する有名な話ですね。
そんな義元率いる最盛期の今川家でしたが
義元が桶狭間で信長に
ジャイアントキラーされてしまいました。
数多くの後世の
歴史系エンタメ作品でも
登場する超有名な戦です。
桶狭間は日本史の戦の中でも
極めて有名な戦いですので
詳細は割愛します。
あの戦いは確かに信長の奇襲作戦が
見事にキマった形になりましたが、
義元が愚将だったというよりは
単純に義元の運が悪過ぎた戦い
だったと思います。
信長も後にあんな戦は二度とゴメンだ
みたいな事も言ってますし、
成功率的には極めて危うい戦い
だったのではないでしょうかね。
しかしまぁとにかく義元は
桶狭間で織田家家臣・毛利良勝に
首級を奪われました。
享年42歳です。
本作でも登場しますがこの際に
愛刀・宗左文字も奪われました。
死後、義元の首(首級)は
本作ではなんと固有武将として
登場する事になった
義元の重臣・岡部元信が
信長とキッチリ開城交渉しまして
返還されて駿河に戻ります。
彼は知名度こそ低いと思いますが
その後の武田家に仕えた
戦いぶりまで含めて立派な武人ですね。
(詳細は岡部元信の記事で)
義元の死後の今川家は
急速に弱体・没落していきます。
その最たる理由は
嫡子・今川氏真でした。
今川氏はたとえ義元が
いなくなったとしても、次の世代が
もうちょいマシだったら
その後の歴史に埋没する事無く
しばらく頑張れるぐらいの
余力はあったと思うんですが・・・
ちなみに僕は
歴史的な評価はともかく(笑)
個人的には今川氏真という人物に
妙に親近感が沸くというか・・・
割と好きな人物です。
多分ほとんどの方が興味無く、
知らないであろう氏真(うじざね)
についても記載しておきます。
彼はいわゆる
ポンコツ2世です。
まぁ義元が死去した動乱期に
彼はまだ若輩でしたので・・・
流石に可哀想だった気もしますが
残念ながら氏真は義元の死後の
今川家を上手くまとめる事が出来ず
今川家は衰退していきます。
義元は北条氏との関係性を回復させて
武田氏と合わせて
甲相駿三国同盟を結んでいました。
その際に氏真と
北条氏康の娘を縁組します。
この北条の娘が早川殿です。
前作4の無双シリーズプレイしてる方は
無双武将として登場するので
ご存じですよね?
戦国無双シリーズのおかげで
氏真よりも早川殿の方が
有名になってしまった感があります。
(苦笑)
今川家の当主を継いだ後の氏真は散々で・・・
武田信玄と徳川家康による駿河侵攻を
受けて敗れてしまいます。
戦国大名としての今川家は滅亡。
その後は色んな所に頭を下げて
転々としていきます。
まずは妻の早川殿の実家である
北条氏を頼り、北条氏の庇護化で生活。
その後は今川家を離反した徳川家康と
和議を結んで臣従し庇護化に入ります。
かつては今川の人質だった家康の
庇護化に入る訳ですから、氏真としては
複雑な思いもあったでしょうね・・・
しかし氏真は戦国武将としては
無能であった為か・・・
時の実力者・権力者たちから
放置され続けます。
まぁ他の大名たちからしたら
自分を脅かす危険性が無い
どうでもよい人物だったでしょうからね。
命を奪われる危険に
さらされる事もありませんでした。
最終的にはそのまま戦国の乱世を
生き延び、その後の徳川政権では
徳川幕府の高家待遇で
代々の将軍に仕えて存続します。(笑)
享年なんと77歳。
当時の平均寿命だと超長生きですね。
自身も徳川幕府のかなり良い
役職で過ごしました。
後年には文化人としても
活動していたようです。
ちなみに長年連れ添った早川殿とは
4男1女の子供がいます。
氏真の亡くなる1年前に先に
早川殿と死別していますが、
早川殿が17歳で縁組してから
長きに渡り夫婦として
苦楽と共にしました。
ある意味
凄い人物ですね。
まぁ・・・戦国武将としては
無能だったかもしれませんが・・・
自身と家族が生き残る為に
奔走して、さらに庇護を上手く
受け続ける事が出来た事から
一人の人間として見たら
良い人だったのかもしれません。