ダメだ、ダメだと言われると反発するのが人の性
以前に
退職するまでの人生を振り返って
という記事で何故僕が、
後で後悔するような人生を歩んできてしまい
体調も崩し、仕事も失う事になったのか?
という事を子供の頃からの生い立ちを振り返って
僕なりの原因を書いた事があった。
今回は僕の子供の頃からの人生を振り返って
ゲームとの関係について
何故、
30歳過ぎて飽きずにゲームばかりやってる大人が生まれたのか?
という事を僕なりの理解として考えている事がある為
今日はそれを紹介しようと思う。
ゲームは1日30分
僕は母子家庭で育った。
なので親というのは母親一人になる。
そして一人っ子だ。
まずはそれを前提として話を進めたい。
僕が初めてテレビゲームに出会い、熱中し出したのは
小学校3~4年生ぐらいの頃だったと記憶している。
1997年頃で時代としては
スーパーファミコン時代も終盤という頃だったが
親が初めて買ってくれたゲームは
ファミコンだった。
僕はハッキリ言って、今はもう小学生時代に何があったか
記憶がほとんど無い。
学校生活などゲームに関係無い部分は特にそうだ。
それでも最初に家にあったファミコンのソフトだけは鮮明に覚えている。
初期のスーパーマリオブラザーズ
グーニーズ2(何故か2だった)という良くわからないアクションゲーム
麻雀
このゲームの3本だった。
僕はまだゲームについてよく解らなかったので
親が適当にソフトを買ってきたんだと思う。
保育園、小学校低学年頃は普通に友達と外の公園などで遊んでいたし
勉強も小学校低学年頃は真面目に取り組んでいたが
テレビゲームと出会ってからは、ゲームに即効でハマった。
「とにかくゲームがしたい。」
「1分1秒でも長くゲームをやっていたい。」
頭の中の全てがそれ一色で支配されていた。
まぁ小学生だから何かにハマったらそんなもんだろう。
しかし、僕の親はフツーの親同様に
ゲームを規制した。
遊ぶ時間は1日30分まで。
新しいゲームソフトは誕生日など特別な日に
数本買ってもらえるぐらいだったが、
ゲームで遊ぶ時間も遊べるソフトも全然足りなかった。
まぁウチは一人っ子だったとはいえ
母子家庭だったから、
母親は育児+仕事と本当に大変だったんだとは思う。
中々、子供の思うままにゲームを買い与えてあげられない
という事は当然あったんだと思うが
子供心にそんな事は理解出来ない。
とにかく僕はもっともっとゲームがしたかった。
どうしたらもっとゲームが出来るか考えるようになり
結果として、小ズルく友好関係を構築する事を覚えた。
小学生の頃の方が純真で友達付き合いしてたんじゃないか?
と思われるかもしれないが
とんでもない。
小学生の頃の僕はゲームがやりたくて、とにかく必死だった。
僕の小学生の時代は
テレビゲームによる子供の学力低下など
様々な社会問題がかなり強く騒がれていたので
周りの子供たちの親も同様に大なり小なりゲームを規制していた。
僕は根気良く
・家でゲームやる時間の規制を親にされていない
・ゲームを沢山買ってもらえており、所持している
この条件に該当する子をクラスメートなどから探し
友好関係を築いた。
ある程度相手の親御さんとも顔見知りになり、
時には、友達が帰ってくるより先に家にお邪魔して
ゲームで遊んでいた。
月、火はA君宅
水はB君宅
木、金はC君宅
というような自分の中での完璧なローテーションを組んで
平日も学校が終わってから放課後ずっと
ゲームが出来る生活スタイルを確立した。
今考えるとそうとうな打算と下心に塗れた友達付き合いだったと思う。
土日の祝日はどうかというと
同様に友達の家に押しかける事もあったし
確か、親が習い事などで家を空けていた為
隠れてゲームをやっていた。
勉強については小学校高学年頃には
完全に興味を失っており、マトモに勉強しなかった。
同時に悪目立ちする事は面倒だから避けるという
小ズルさだけは身についていたので
常に中の下ぐらいの低空飛行を続ける事になる。
お小遣いは無し、ゲームを買う機会は限られた
中学生になると流石に1日30分とか厳格な遊ぶ時間に規制は
無くなったものの、
相変わらず家でゲームが満足に出来る環境ではなかった。
そもそも自分の部屋にテレビが無かったし、
誕生日など特別な日以外はゲームのハードはおろか、
ソフトも買ってもらえなかったので
やるゲームが無くなってしまった。
自分の家だと1990年代でもまだファミコンソフトで
300時間以上プレイしたドラクエⅢをやり続けるしか無い。
そんな状況だったので、満足できず
小学生時代と同様にゲームが出来る友達探しを継続した。
流石に中学生になると、いい加減小学生の頃よりは
周りの事を考慮するぐらいの落ち着きはあったので
小学生の頃よりは、打算的な友好関係では無く
普通の友達関係を築くよう務めたつもりだが
ゲームが出来る環境がある事
これが最優先の判断基準だった事は確かだ。
幸いにもまた何人かのゲームが出来る環境が
かなり潤沢に整っている友達を作る事が出来、
再び、小学生時代と同じように
友達宅をはしごするような生活を続けて
ゲームに没頭した。
おかげで自宅にはファミコンの他に
中学の高学年頃にようやく
プレイステーションとニンテンドー64があった程度
(残念ながらソフトは1~2本ぐらい)
だったが、
多くの友達宅で沢山のゲームに触れる事が出来た。
スーパーファミコン
PCエンジン
メガドライブ
ネオジオ
セガサターン
プレイステーション
ニンテンドー64
ドリームキャスト
ニンテンドーゲームキューブ
他にも携帯用ゲーム機も勿論あるが
当時の様々なハードのゲームを遊ぶ事が出来た。
また、当時の中学は必ず部活に所属する
というのが建前上の決まりだったのだが
自然科学部というほとんど活動しておらず
部活の顧問もやる気が無い幽霊部があったので
そこに所属してやり過ごした。
学校にパソコン室が導入されると
この部活をパソコン部にするよう働きかけ見事部活名を変更。
放課後には部活動という名の部員特権で
パソコン室を利用出来るようになった。
顧問がやる気無いのを良い事に、自由にネットサーフィンして
ゲームの攻略サイトから情報を調べたり、
PCのフリーゲームで遊んだりもしていた。
当時は今のようにスマホも無かったし
家にロクなパソコンも無かったので
インターネットにアクセスするのも僕の環境では困難だった。
学校のパソコン室を利用出来たのは幸運だった。
友達宅をはしごする事が困難になった高校時代
高校生になって、流石に親は小学校・中学校の頃ほどは
ゲームや勉強の事を口出さなくなった。(もう諦めたとも言える)
ただ相変わらず、自宅に満足いくゲーム環境が無かったので
これからどうしようか?という問題にぶち当たった。
高校生になると、小学はおろか中学時代の友人も
ほとんど別高校となり疎遠になっていく。
高校は中学までと違い、
割と遠くから通っている学生が多くなり
家も遠い。
「困ったな・・・」
と思ったが、幸いオタクが多い学校だったので
当時、ゲームやマンガ、アニメなど
共通の趣味の話で盛り上がる事が出来る仲間は多かった。
高校生になると
単純に自分がゲームしたいという欲求だけでなく
面白いと思った趣味を仲間と共有したいという欲求も強くなってきた為
共通の趣味を持つ仲間と話をしているだけで
放課後の時間はあっという間に過ぎた。
当時、テレビゲームの他にカードゲームにもハマり出したのだが
これも環境的には都合が良かったのかもしれない。
誰かの家に行く事が出来なくても
とりあえずどこか集まれる場所さえあれば
遊ぶことが出来る。
これはとてもありがたかった。
終わりに
人生にイフストーリーは無いが
もし仮に僕の親が子供の頃からゲームを規制していなかったら
僕はどうなっていたのだろうか?
冗談抜きで僕が社会人になって最初に思った事は
「これからは自由にゲーム買って遊ぶ事が出来る」
という事だった。
責任ある大人という立場になる事に一抹の不安はあったが
それでも、やっと本当の意味で自分の好きなように自由にゲーム出来る
という感動はあったと思う。
まぁ・・・実際にはお金はともかく時間やストレスなどの負荷の問題で
中々ゲーム出来る環境を保つのは難しかった訳だが・・・
要するに僕は
「自分の満足いくまでゲームがしたい」
という欲求を常に抑えて、こじらせて
そのまま20歳を過ぎてしまった。
当時から振り返ってみてよくよく考えてみると
かなり自由にゲームが出来ていた友達はどうだったか?と言うと
ゲームについてそんなに執着していなかったように思う。
年齢が上がると共に
ゲーム自体に飽きて辞めてしまった人の方が多い。
僕が知る限り、子供の頃から割と自由にゲームが出来ていた人で
ゲーム中毒になった人はいない。
例えが良く無いかもしれないが、男女関係の恋愛も同じだろう。
若い頃からオープンにスケベでイケイケだったヤツよりも
全く経験が無くいい歳してこじらせたオヤジの方が
痴漢などの性犯罪を犯しやすいのではないだろうか。
子供に欲求を押さえ続けても
親の思惑通りにはいかないどころか
むしろ反発して、思惑とは逆張り方向に振り切れてしまう恐れもある。
少なくともゲームを辞めさせたいという親は
僕のような事例をよく考慮して、
子供とどう接するかを考えた方が良いのではないかと思う。
そもそも、
親の思惑通りに子供を教育する事はそもそも困難だし
そうするべきではないと僕は思うけれども。